shikatanai

ごめんなさい





Jul 30
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(Source: ricebxll, via milkykissu)

Jul 29
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大事な事を蚊のなくような声で言わないでくれさえすればもういい今年は

Jul 27
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九年前から住んでいる世田谷区には、「緑道」が何本かある。最初は単なる遊歩道かと思ったのだが、暗渠(あんきょ)にした川の上を利用した道だとわかった。

ところどころでは、川が地上に現れ、中には人工的に再現した沢もある。幹線道路で途切れ、別の緑道と合流しながら住宅街を蛇行するその小径(こみち)をよく散歩するが、終点まで行ってみたことはまだない。近所の緑道の下を流れる水は、羽田あたりで東京湾に注ぎ込む。

途方もなく長い時間をかけて水が地面を削ってきた跡を、歩いても、地図を見てもたどることができる。

地図を眺めると、何時間でも楽しめてしまう。過去の地形を推理するのもおもしろいし、この街に住んだらどこに遊びに行こう、と引っ越し気分を味わうこともできる。

緑道の周辺の地名を見る。「谷」「沢」「原」「坂」に、「橋」「宿」「寺」「町」……。自然の地形に、そこで生きてきた人間の暮らしが重なっている。

三十歳まで暮らした大阪でも、元は川だった道をいつも歩いていた。掘割を埋め立てた道路は、世田谷の緑道とは対照的に、まっすぐ規則的に並んでいる。江戸時代の大坂の地図を見ていたら、長堀川と西横堀川が直交するいわば川の交差点に、今と同じ「四ツ橋」の文字を見つけ、あっ、と思った。四つの橋があったから四ツ橋なのか。現在は、水の代わりに車と地下鉄が流れている。四つの横断歩道をわたしが歩くように、昔の人が橋の上を歩いていた。

出会うことのない人。どんな顔かも、どんな声かも、決して知ることはない誰か。しかし、わたしは、その誰かがかつてこの道を歩いたということを、知り、感じることはできる。同じ道を歩いてきた会うことのない大勢の人と、同じ街で生きているのだと思うと、少しだけ心強さが湧く。

小説は、遠い国の、遠い時間に書かれた言葉も、ついこのあいだ書かれた言葉と同じように、読むことができる。ページを開いて、知らない誰か(それは実在の人物ではない誰かでもある)の目を、耳を、歩いた道のりを通して、世界を体験する。読んでいるその時間は、彼らとともに生きることができる。

わたしが実際に見たこともない風景を、触ったわけではないものを、あとになって、まるで自分の記憶のように、ふと、思い出すことがある。しかし、彼らに会って話すことは、やっぱりできない。

見えないはずのものを、見たい。届かないはずのことに、手を伸ばしたい。緑道で聞こえない川の流れに耳を澄ませながら、離れた大阪の街を思いながら、ある家とアパートをめぐる住人たちの物語を書いた。

その小説で、何度も候補になった賞をようやく受賞することができて、とてもうれしい。



Jul 25
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たくさん泣いてもいいからわたしらしく生きたいのです

noraneko 
Jul 24
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↑見たと思ったらクリック!

Jul 23
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Jul 22
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ポロリ

ポツン
ポツン

ピピピ
ピピピ

ドクン
ドクン

ダダダダダダダ

ヒューン

プ!

無限大に加速し

命の上を駆け抜けていく

私の時よ。



Jul 21
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先生からは、依存症と恋愛の区別がつかなくなっている状態をなんとかしたいから、連絡を断つことで冷静になって欲しいと言われている。昨日、好きな人そっくりな人を見かけて、幻覚かと思った。


ーーーーー残酷な言い方しますけど、アルコール中毒の禁断症状のようなものです。我慢しようとすればするほどアルコールが欲しくなるでしょう。アルコールの代わりになるような何かが必要なのです。辛いのはわかるのですが、なんとか他に目を向けて意識をそらすことはできないでしょうか?
簡単に言うと依存症なんですよ。対象はなんでも原理は同じです。それがないと生きていけない。それしか人生の喜びがない。そうなった時にそれに依存していくわけで。どこかで断たなければならないんです。
でもただ「やめよう」ではよけいに欲しくなるだけで、なぜ自分がそれに溺れてしまうのか。それで何を誤摩化しているのかということを、ちゃんと考えて根本を断たないといけないんです。


子どもに意識を向けることが出来れば一番いいことも分かっている。そしてそうすることが辛く感じ、自分には難しいことも分かっている。本当にどこへ意識を向ければいいのかが分からない。


ーーーーー自分に向けてください。また言いますけど、あなたは全く自分を愛していません。可愛いとも思っていません。子どもはあなたの分身なんですよ。あなたが自分が可愛くないと思っているから子どもも可愛く感じないんです。
普通の親はまず自分大好きです。だから分身の子どもが可愛くて仕方ない。健全に育った人はそうです。
あなたが目をそらしているのはそこなんです。自分が可愛くないのが辛いんです。それでよそに目が行く。そう思ってみてください。
自分のためになにかしようとしますか?たいがい誰かの役に立ちたいとかじゃないですか?
逆にいうと必要とされなければ全く無価値だと考えてますよね。そこがとても問題なんですよ。

ーーーーー他人から許可をもらって初めて自分がいて良くなる。だからあなたはそれをくれる人がいないと存在してないんです。それに耐えられない。
一人で立つということは一人で居ても、許可をもらわなくても、自分に価値があると思えることです。与えてもらうのではなく、自分が自分に丸をつけて生きているということです。